夜中への思い(松戸自主夜間中学の30年より)


「宇を書けない人の気持ちがわかるかい?」

Nさん

 

 Nさんは家が貧しかったことと、勉強が好きでなかったことなどから、小学校にほとんど行かないうちに、満州に開拓に行く話を勧められ、茨城県内原の満蒙開拓青少年義勇団の訓練施設に入って終戦を迎えた。終戦後、人間不信におちいり、太く短く生きてやる、と親も村も捨てて上京した。山谷に寝泊まりし、食べて寝るだけの生活を続けていたがその後結婚。給料のほとんどはギャンブルで使い果たし妻に暴力をふるい、喧嘩も絶えなかったが、娘が中学に入るのを機にまじめに働こうと思うようになった。しかし、読み書きのできない為、給料が安いところしか仕事がみつからず、その頃は、他人に読み書きができないことを知られるのではないか、といつもびくびくしていて、人としゃべることも苦手だったという。

 以下Nさんの話「私が自主夜中を訪れた頃は(会社の方針が変わり)それを機に何人も解雇された。自分もやめようかと思ったが、家族のことを考えるとできなかった。仕事を変えようかと思って会社見学などもしたが、壁に貼ってある字が読めず、何をしている会社か理解ができなかった。転職はあきらめて残ることにした。ところが今度は仕事の後、日報を書かなければならなくなり、これではまずい、勉強するしかない、と思った。

こんなとき、自主夜中の写真を妻が新聞で見つけてくれ、決心して自主夜中のある勤労会館に来た。来てはみたものの気おくれがしてすぐには入ることができず、そのまま帰ってしまった。何回か来ては帰るを繰り返すうちに、思い切って中に入った。初めは場違いなところに来たという思いがあったが、「学ぼうという気持ちに年齢は関係ない」ということを教室の雰囲気が教えてくれた。「指先の運動のつもりで、落書きから始めればいい」という言葉に勇気づけられ、読み書きと簡単な計算から始めた。

それまで人を信じることができず、人と話すのが苦手だったのだが、自主夜中に来て、少しずつ人前で話すことができるようになった。妻には(残業せずに)自主夜中に通う分、収入が減り、苦労をかけた。」(「新たな出発の今―松戸自主夜間中学校の30年」p16)